幸福
自分のどうぶつが死ぬんだと思い知らされて本当に悲しいのは、その前後の絶望を別とすれば、死ぬことそのものではありません。ありとあらゆる生き物は、いずれ死ぬからです。
悲しいのは、精一杯その人生を過ごさせてやれなかったこと、やり残したことがあること。モモがフルに幸せだったと、最後に思えない事態が来ることです。
私は自分の死について、人生の盛りの割にはかなりの準備と覚悟をしているつもりです。なかでも、明日隕石や鉄骨などが空から降ってきて潰される、という突然の死に方の末にどうぶつが残されることを恐れて、モモとあんずのその後のことにさまざまな手回しをしてきました。
なのにモモがもう治らないのだと聞かされて、まだ思いが残る。
それはモモの命であって自分の命ではないからだとずっと思っていましたが、ふと気がつきました。彼女が私のもとからいなくなるのと、私がこの世からいなくなるのと、もう二度とモモに会えないという点では、いずれも同じなんだと。
だとすれば悲しいのは、モモに対して私がやり残したことがあるからです。
村民になってからの2年間は、どうしたらモモを幸せにできるのか、そればかり気にしていた2年間でした。私には私の友人たちが思うほど、モモを幸せにできていないのではないか、という負い目ばかりがあったのです。