未練
亡くなった朝、ズーズーカンパニーでモモの好物を買い込んできたばかりなのに、食べられたのは砂肝1枚だけでした。もっと好きなものを食べさせてやりたかった。
実家でなければ、葬儀でばたばたしていなければ、もっと早く様子がおかしいことに気付いたかもしれない。葬儀がなければ当初の予定どおり帰ってきて、病院に連れていけたかもしれない。祝日だから病院も休みだし、でも救急も受け付けてくれるところだし、とはいえ院長が出かけてたら結局無理だし、と考え出すときりがありません。連休でなければ、最期の痛みくらいとってあげられたかもしれない。
仙台の救急病院へ行こうとする私を、動かすだけでもしんどいから、と止めたのは母でした。今になってみると、これはありがたい判断でした。それに頭のどこかでは、苦しんで生まれてくるのに、楽に死ねるわけがない、と思ってもいます。
痛がるモモをただ抱きしめて、ごめんね、もういいよ、と言ってあげることしかできませんでした。
モモは私の何かのミスで、予定外に早く亡くなったのかもしれない。
同じ個体に違う治療を施して比較することは無理ですから、言っても仕方ないことはわかってはいるのですが、村を出る前日は、あんなに穏やかに休日を過ごしたのに。
亡くなってまだ二日もたっていないのに、あの耳も、しっぽも、脚の裏も、眉毛も、もうどこにもありません。
モモをこんな形で村に帰すために実家に連れていったわけじゃない。
これからモモのいない生活を迎えるのかと思うと、気が遠くなりそうです。