雑種の素晴らしき日々   ~村の猫部の村民日記~

主に猫の、保護活動と里親募集を個人で行っています。全員が元保護猫であるうちの猫ずの日常もたまにご紹介します。

通院報告

昨日24日、3か月ごとの診察の日でした。にんげん(=わたし)の。

コロナなので「処方箋は郵送で送れますし、特に問題なければわざわざ来なくてもいいですよ」という電話が昨日ありまして。

が、わざわざ用事あった。それで多少「これもまた無駄な医療?」と銀色夏生っぽい(←わかる人だけわかってください)リズムで考えながら、行ってきました。

 

我ながら鬱陶しいので畳みます。猫の話はありませんし体調に変化もありません、どちらかというと報告というより記録です。文字ばっかりです。

なんでもいいから読んでやる、という方は続きへお進みください。

 

 

年末の前回の診察では、秋に落ち込んでひどかった体力がやっとちょっとマシになってきたと思ったら、今度はやる気が出なくて、ということをせつせつと訴えたつもりだったのですが、主治医には「ああそうですか〜」的な反応をされて、薬の副作用でもないと言われ、とにかくがっかりして帰ってきました。

昨日電話をくださった看護師さんには、

「前回もせんせいにあんまりまともに相手してもらえなかったから、今回も無駄かもしれないんですけど」

とついぽろっと言ってしまい、そのせいかどうか、今日は医師にも看護師にもすごく話を聞いてもらえました。

 

先月は仕事に大きな穴を開けた、その後気力はマシになってきたけどそろそろ出勤も始まるし体力不足で、といったことを、解決できる問題でないのはわかっているのですが、とりあえず訴えてみました。

前回わりとヘラヘラと(すみません)対応してくれた主治医は、今日は真剣な顔で聞いてくれて、前回薬に「そんな副作用はない」と言われたのに、今回は「影響はあると思います」と言われました。

※ なお、同じ現象に対して、人と場合によって解釈が異なる、という事態は、この通院で散々経験してきたので、いまさら違和感はありません。医学とはいえ扱う対象は生きてるにんげんだから、科学的側面だけじゃないんだな、解釈が入るんだな、ということを、改めて感じました。

 

主治医によると、

・服薬を初めて10か月、影響はあると思う

・だいたい半年くらいで副作用が出て、1年くらいでだんだん体が慣れてくる、だから気力がいまいちとか体力がまた落ちてきたというのは、そのリズムでいうと合ってるし、もうちょっとがんばればマシになる

・今はまだ手術したところに痛みやむくみや硬さがあって、ふとしたときに「手術した」「病気だった」ことを思い出すでしょう(←これは当たってます)

・僕の予想では5年後くらいに、「ああそういえば手術したんだっけ」と思えるようになる

・自分のつらさは最終的には自分にしかわからないから、つらかったらつらいと思っていい

・自分のつらさが理解されなくても、将来自分と同じ病気の人にきっと出会うから、そのときにはその人のつらさがわかってあげられる、そのときにその人を支えてあげればいい

ということでした。

 

 

それと、「ゆーても大変な病気だったので、心理的負担もある。年末年始あたりとか最近、なにか大きな変化はありましたか」と聞かれて、正直そんなものなかったんですが、ふと、2番目にかかった病院の医者を恨みました。

13か月前からの経緯としては、次のような感じでした。

 

 しこり発見

→どこ行ったらいいかわからないので村の中央病院①へ

→町場の専門医②を紹介してもらう

→②で生検してわからず細胞診、確定診断(ここまでめちゃ長く感じた)

→田舎での治療を相方に大反対され、隣の宮城県の専門病院③を紹介してもらう

→③に行って(混んでてここまでめちゃ時間かかってすでに発見から1か月半が経過、ちょっとだけ進行してました)一通り再度の検査を受けたものの、コロナがはやってたので、入院して手術するためには入院前に2週間どっかで待機とか言われてめんどくさい状況。実家があるから待機はいいとしても、検査入院して術後管理して、と考えたら1か月かかる。そもそも猫を置いてそんなに自分の家を離れられない。③の医者がわたしと相方の懸念を聞いて、「気持ちはわかりますけど、岩手出身じゃなくてT大(※東北の雄)出身の医者がいっぱいいる病院④をご紹介しますよ、優秀な先輩がいるから大丈夫ですよ」とその場で④の「優秀な先輩」に電話してくれた。相方も納得したので居住地に戻る

→当時岩手にはコロナが発生しておらず、待ち時間ほぼゼロ、③で紹介状もらった次の日には④で3度目の検査を受け、あっという間に手術の日取りが決まる(手術=その1週間後、これまでの1か月半はなんだったの??って感じでした)

 

で、この「宮城の専門病院③を紹介してもらう」ときに、②の町場の専門医に、「これすごく簡単な手術だよ? こんな手術で隣の県まで行く人なんかいないよ、笑われるよ」と散々バカにされたんですよねー。

わたしの手術と同時期に、若い知人がホスピスに入りました。それもあって、「かんたん、かんたん、笑われるほどかんたん」という、呪いが自分にかかってしまったのです。

なお相方は、「だったらなおさら駄目だ、簡単な手術で死にたくないだろ」と、とにかくこっちの病院をまったく信用していませんでした(※ 根拠はあります、奴はこっち出身で医療関係者で地元の事情を知っていて、表沙汰にならなかったミスで何人か知人を亡くしているのです)。

 

今回主治医に「大変な病気」と言われても、実際体も気持ちも動けてないにも関わらず「そーかな」と思ったりする自分もいるのですが、「ちゃんと薬飲んでてエライですね」と言ってもらえて、泣きました。

ほめられた。薬飲んでるだけで。これが猫だったら自分も全力で褒めるけど、自分が錠剤1個毎日飲むだけでほめられる日が来るとは思わなかった。

 

今後もし気持ちが復活しないようなら、そういう部分をケアするチームもありますから紹介しますよ、と言われました。今日はそこそこ気が済んだし疲れたので帰ってきましたが、なんていうか、昔の医療を知ってるわけじゃないんですけど、でもこういう心理的なケアって、以前よりずっと重視されて真剣に扱われてる、という感想です。

「診察日じゃなくてもいつでもいい、看護師相手でもケアチーム相手でも、とにかくつらかったら電話して」と散々言われました。わたしも分野はまったく異なりますがある種の専門家なので、自分が人に「いつでも頼って」的なことを言うときには本気なんですが、いざ言われる側になると、それだけでありがたかったり、最後の手段があると思うと頑張れたり、とはいえ自分のつまらん用事で電話して手を煩わせるのもな、と思ってしまったり。

とにかく今回は、医療費の無駄遣いかも(2回目)、と思いながらも、来なくても大丈夫ですよと言われた診察にわざわざ出かけて、よかったです。わたしにとっては無駄な医療じゃありませんでした。

 

以上、昨日の診察の記録です。今週も野菜食べます。